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2025年3月16日・四旬節第2主日(C)

創世記15.5-12,17-18・詩編27.1,4,7+8・フィリピ3.17-4.1・ルカ9.28b-36

四旬節における私たちのあり方は、イエス様のご受難と死を記念する故に、私たちの地上での実生活と、何故かとても深く繋がっています。この四旬節第2主日に、私たちは、自分たちの人生の目的について黙想するようにと招かれています。キリスト者の信仰は、イエス様のうちにあり、イエス様の指針と生き方への信仰なのです。イエス様は、天国での宝物について教えて下さり、悔い改め/回心を通して、私たち皆が神の国の住人となるために、イエス様のうちに新しいいのちをお示しになりました。四旬節の主となるテーマである悔い改めは、私たちを新たにし、同時に、私たちがこの世に居ながらにして、少なくとも神さまの栄光を垣間見るという経験へと導いてくれます。私たちがこの世にいる間に、この世の中で、そして、この世の中を通して、神さまをお探しするようにと求められているのです。私たちは、深い信仰のうちに生き、この世界にあり、この世界自体の不完全さと弱さの中で忍耐するための神さまのみことばによって、常に勇気付けられ、導かれています。神さまのうちに、皆でしっかりと立ち向かいましょう。

 

聖年のテーマを引用する事で、今日の私たちの黙想のテーマをもっと具体的にすることができます。私たちは、希望の巡礼者なのですから、何の理由もなくキリスト者となったのではないという事を信じています。私たちは、イエス様とイエス様のみことばに希望を置き、信頼しています。この世のものを捨て去る(どのように捨て去るのか)ことを学んでいるという理解のもとに、勇気を持ってイエス様に従っている人々に、私たちも倣い、神さまとの深い繋がりを見出す事ができるようになりましょう。

 

 

この世で生きるために費やされる時間と努力が、この世界とそこに生きている人々の弱さと罪からの解放のために、価値あるものとなりますように。私たちが生きていく上での時間と努力が、神さまの慈悲深い約束へと私たちを近づけ、永遠で平和に溢れる憩いの場へと導いてくれますように。