ミカ5.1-4a/詩編80.2,3+4,15+16/ヘブライ10.5-10/ルカ1.39-45
ロザリオで定められている神秘を黙想する事は、多分、私たちへの神さまの愛の真理をこころにもたらすのに最も効果のある方法のひとつです。ロザリオを祈るという事は、単に祝福されたおとめマリアの執り成しを願うためだけではなく、この世でのイエス様のご生涯について、そして、イエス様と人類との一致について深く考える事です。ロザリオに込められている神秘とは、すなわち神さまの愛なのです。
同様に、待降節第4主日では、私たち皆が、ひとの子となられた神さまのみことばを通して、私たちは黙想の大筋を掴むように、そして、神さまの偉大なる愛を私たちが、どこまで理解できているのかという事の表れの大切なポイントを分かち合うようにと招かれています。
今日の福音朗読は、マリア様のエリザベトのご訪問、つまり、ロザリオの祈りの喜びの神秘第2連について語られているので、とても時宜にかなっています。このご訪問の出来事は、単にマリア様がエリザベトをご訪問されたという事のみならず、マリア様のご胎内におられる赤ん坊のお姿をされたイエス様が、良い知らせを宣べ伝えるようにと神さまから召されている人々を奮い立たせるという、もっと重要な出来事であるのです。
今ここで、私たちは、親戚や隣人たち、または、病気の人々を訪ねるという私たちの習慣について、じっくりと理解できるように心を向けましょう。おそらく、私たちは、良い知らせを宣べ伝えるという事の背景が持つ、もっと深い意味をも見出すことができるでしょう。今日の福音朗読では、エリザベトがマリア様からのあいさつを聞いた時、エリザベトの胎内の子どもがおどったと記されています。エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言いました。あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されていますと。私たちは、このご訪問の記述のずっと後に、イエス様がおいでになるための準備をする洗礼者聖ヨハネの事を、必ず思い出します。祝福は、自分に与えられた召命を受け止めた洗礼者聖ヨハネにも与えられているのです。
飼い葉おけに眠る赤ん坊のお姿をされたイエス様のイメージから、私たちが得ることのできる閃き(ひらめき)はたくさんあります。幼子のイエス様は、この後、イエス様の「色あせる事のない神性」、そして、イエス様による罪からの解放を除く、ほとんどすべての面で、いわば私たちと同じように生きてゆかれます。今、私たちは、イエス様のご降誕が、神さまが私たちのもとにおいでになり、友のために命を捧げることで示される、最も偉大なる愛を私たちに教えて下さっている事を理解するのです。
マリア様のご経験、更に、イエス様のご生涯は、神さまに「はい」と応えるようにと、私たち一人ひとりに毎日呼びかけておられる神さまに対して、無償であり無条件であるという事を、私たちは、もっと深く考えましょう。確かに、ほんとうのクリスマスの喜びと幸せは、神さまに「はい」という私たちの応えのうちにあるのです。
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