ヨシュア42.1-2a,15-17,18b/詩編34.2+3,16+18,19+23/エフェソ5.21-32/ヨハネ6.60-69
イエス様が天から降ってきたいのちのパンであるという事、そして、イエス様の御からだと御血をいただく者はだれでも永遠のいのちを得るという事を理解できるようになるという事は、私たちが祈りと振り返りをお捧げする時間を通して生み出される純粋な恵みです。
私たちはヨハネによる福音書の6章を振り返って時間を過ごしてきました。今日はこの章の最後の朗読であり、来週マルコによる福音書朗読に戻ります。
イエス様の実生活のご経験に基づくわかりやすい御ことばと、幾度となく語られたたとえ話によって、イエス様の行われた奇跡を通して伝えられている、イエス様からのメッセージを、私たちは、より深く理解するようにと招かれています。私たちは、ミサの中での御ことばから、イエス様のメッセージを聞き続けます。家で聖書を読み続けます。この数週間の間、私たちは、私たちの日々の信仰生活の経験を隣人たちと分かち合うようにという招きを受けています。これらの信仰生活の経験は、私たちがどうやってイエス様のメッセージをよく理解しているのか、私たちがどうやってイエス様を中心にした生活を送っているのかという事への、慰めと寂しさ{悲しみ・ロンリネス}の両方を併せ持っているのかもしれません。
神様からの招きについては、こんなにもたくさんの事が述べられているのです!
ヨハネによる福音第6章の福音朗読で、私たちは、イエス様がご自分の信者たちの中に信じない者たちが出てきたことをご存じであったという事を知るでしょう。イエス様は、何よりもまず、弟子たちにとって、イエス様の教えを理解するのは難しい事であるのをご存じでした。ですから、イエス様は、弟子たちに、ご自分が誰であると思っているのかとお尋ねになりました。この事から、私たちは、今日の黙想の具体的なポイントが、もう一つの招き、イエス様への私たちの信仰を見つめなおす事であると、理解するでしょう。これは、ヨシュアが、イスラエルの人々に、神さまへの忠誠と献身を見つめなおすようにと求めた、第1朗読でも同じように強調されているポイントです。
今日の第2朗読は、特に結婚生活における一致と尊厳を求められている人々にとって、更に深く考えさせられるものかもしれません。キリストの愛と導きは、夫婦の役割を守るものです。愛情で結ばれている夫と妻は、お互いにどのように結婚生活という挑戦を見据えていくのかという事を考えるまでもなく、愛と献身の絆を見つめなおし続けます。彼らは、ずっとお互いを尊敬し合うようにと招かれているのです。キリストは、教会を愛し、教会(信仰共同体とそのメンバーたち)は、キリストに敬意を払います。ですから、イエス様への私たちの信仰を見つめなおす事は、一致と尊厳の表れなのです。
「不信心」になりがちな私たちが、そして、時々、イエス様への信仰を宣言する事が難しく思えてしまう私たちが、以前のような生き方に戻ってしまう事がありませんように。