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2024年8月11日・年間第19主日(B)

列王記上19.4-8/詩編34.2+3,4+5,7+8/エフェソ4.30~5.2/ヨハネ6.41-51

いのちのパンについての黙想の3週目となる今回(今日)は、このテーマに沿った/相応しい祈りを自分たちで創るという挑戦を、私は皆さんに提案します。祈りは、毎日が聖霊で満たされる事に相反する行いや活動を避けるための武器となる事を、私たちはずっと信じています。ここでは、私たちの日々の生活の中で、どんな行いや活動が聖霊のうちにある生活を保つのか、どんな行いや活動が私たちを聖霊から遠ざけるのか、はっきりさせていきます。

 

俗世界に対する執着はその中のひとつで、信仰生活を深める事への大きな妨げとなり得ます。世俗的な活動は、それがどんなに満足のいくものに見えても、それは一時的な満足で、いのちのパンであるイエス様から、私たちを少しずつ遠ざけていくものです。これらの世俗的な活動や執着は、いのちのパン、天から降ってきた生きたパンとしてのイエス様の事を十分に理解する事を妨げるものです。

 

私たちの今日までの教会生活/祈りの生活の中で、ある日、私たちが一人ひとりばらばらになっている事に気付く事を、私たちは望んではいません。けれども、たくさんの誘惑によって、私たちは罪に陥ってしまいます!  私たちの聖人たちもまた、たくさんの誘惑に出会いましたが、最終的には天国に相応しい生き方に辿り着きました。それ故、私たちは祈るのです。

 

 

「天におられる私たちの父よ。あなたは、私たちを永遠にお守りくださいます。あなたは、私たち皆にとって、なにが一番良い事なのかをご存じです。いのちの糧となる天からのパンへの信仰を通して、あなたは、私たちをあなたと一致させてくださいます。あなたの聖霊が、私たちをやさしく包み込む事で、あなたから遠く離れてしまう危険から逃れる事ができます。いつも私たちが犯す日々の罪をお赦しください。私たちを、善良でいつくしみ深く寛容なものとしてください。私たちの主、天からのいのちのパンであるイエス キリストを通して、これらすべての事をあなたに請い願います。アーメン」