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2024年7月28日・年間第17主日(B)

列王記下4.42-44/詩編145.10+11,15+16,17+18/エフェソ4.1-6/ヨハネ6.1-15

今日の朗読を注意深く聞くことで、私たちは、すべてのものの与え主である神さまについて語られているメッセージを理解するようになるでしょう。神さまは、私たちの事を心にかけてくださっています。神さまは、すべてを治められる神なのです。

 

私たちは、ナザレのイエスを通して、神さまの心配りをもっと理解するようになりました。イエス様は、奇跡を行われるために地上においでになりました。それは、重い病気を癒され、死からよみがえらせ、少ししかない食べ物で大勢の人々を満腹にされるなどの驚くべきたくさんの奇跡です。

 

そして、私たちの今日の重要な目標は、神さまからいただいた完全な心配りを理解する事です。神さまは、私たちに身体のための食べ物と、心のための食べ物(いわゆるいのちのパン)をお与えくださいます。神さまは、私たちのこころと身体を大切に思ってくださっているのです。

 

では、お腹を空かせている私たちに、神さまが毎日の十分な食べ物をお与えくださるという事を、私たちはどのように理解できるでしょうか。今日の黙想の中で考えるべき事は、飢えている人々がいると同時に、私たちのほとんどは1日に3回の食事ができているという事です。それどころか、私たちは、栄養のある食べ物だけではなく、自分の好きな食べ物を選ぶ事さえできます。

 

第一朗読についてよく考えてみましょう。エリシャの神さまへの信頼は、少しの大麦パンしかなかったにもかかわらず、100人の人々に、これらを分け与えるようにと召使のひとりに命じるという絶大な権限を生み出します。神さまの言われた言葉がはっきりと思い出されます。「人々は食べ、食べきれずに残した」(列王記下4.44参照)第一朗読のテーマは、イエス様が行われた5000人の人々に食べ物をお与えになったという奇跡について書かれている今日の福音朗読にも通じています。

 

今日の福音朗読を踏まえて、私たちに霊的なものだけではなく、物質的なものもお与えになり、養ってくださる神さまについて、私たちはどのように理解することができるでしょうか?とてもたくさんの食べ物が、どこからか突然に現れるのを、ただ待っている事でしょうか?そして、私たちは言うのです。確かに神さまはお与えになる!と。

 

ほとんどの場合、何もない所からではなく、すでに準備されていたものから、イエス様は奇跡を行われたという事に目を向けるのも、良い事だと私は思います。今日の福音朗読では、少年が持っていた5つのパンと2匹の魚から、奇跡は起こります。少年は、持っていたものを差し出しました。少年が持っていたものを分かち合うために差し出した後、もっと素晴らしい事が起こるべくして起こったのです。

 

私たちは、もっと深く掘り下げて、見つけ出しましょう。

私たちは、理解するという恵みを請い願いましょう。

 

神様は、私たちが地の塩となるために、神さまと完全に結ばれている人間の心をお与えくださっています。この事は、今日の第二朗読にも書かれています...それは、私たち皆が、与え、分かち合うという神さまからの呼びかけに相応しい生き方ができる場合のみの事です。謙虚さ、やさしさ、そして、忍耐は、本当に与え分かち合うためのパスワードとなるのです。それは、また、お互いに愛を持って支え合うという事も含まれています。

(エフェソ4.1-6参照)

 

私たちの心が、福音朗読の少年のような寛容な心にでさえ引き起こされ、同じように行動するようにと奮い立たされますように。そうなる事で、神さまとの深いつながりが、たくさんの奇跡を起こすという事に気が付くでしょう。神さまは、私たちに、もっと奇跡を起こし続けさせてくださるのです。