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2024年7月14日・年間第15主日(B)

アモス7.12-15/  詩編85.9,10+11,12+13+14/  エフェソ1.3-14/  マルコ6.7-13

一般的に、「宣教者派遣式」は、ある修道会や宣教会や教区において、修道会/宣教会の責任者、または、教区の司教から、ひとり、またはそれ以上のメンバーが決められた場所での宣教者として「派遣される」時に行われます。たしかに、カトリック教会の宣教活動を努力して実行するために、小教区のひとり、またはそれ以上のメンバーが参加する時、その小教区共同体にとって、それは、とても特別な恵みとなります。つまり、ある修道会や宣教会、またはある教区のひとり、またはそれ以上のメンバーが、自分の召命/「派遣される」ための教会への奉仕生活をする、または、ただ「宣教者」の召命を受けるという事です。一般的に、すべての宣教者には、自分たちが入っている修道会や宣教会などからの、「宣教を行う」上で守らなくてはならない決まりがあります。

 

今日の福音朗読にあるように、イエス様は「十二人」を二人ずつ組にして、それぞれに与えられた使命を果たすためには、どのようにすればよいのかという、具体的ないくつかのルールをお与えになりました。実際に、これらの具体的なルールは、現在の宣教生活に対して、このようにしなさいという事柄の基本となっています。

 

今までに述べてきた宣教生活、あるいは宣教者としての召命は、すべての人々に対してのものではないかもしれません。多くの司祭や霊的指導者たちは、しばしば私たちに、「派遣される」と決めつけられて教会に奉仕したり、宣教者として認めてもらうために、遠く離れたところへ実際に行く必要はないと言っているからです。

 

毎朝、目が覚めて一日を始める時、私たちの各家庭の家族のために、私たちは派遣されているという気持ちを持ちましょう。毎日、自分の家の玄関を出るたびに、日曜日の教会で、職場で、学校で、そして、ゆったりとできる場所で、私たちが出会い、交流する人々に、喜びあふれる宣教をするために、私たちは、イエス様によって派遣されているのだという事を知りましょう。

 

イエス様は、十二人の使徒たちが命じられた事柄で、彼らが宣教活動を努力して実行するために必要だと思われる事柄に対してさえ、離れていってしまう事をも心配されていました。使徒たちは、旅には杖一本の他には何も持たず、食べ物、袋、帯の中にお金も持ってはならないと命じられました。汚れた霊に対する権威を与えられたイエス様の弟子たちは、何よりもまず、イエス様を信頼しなければなりませんでした。「この信頼」は、悔い改めと新しいいのち、そして、イエス様がお与えくださる真の自由を受け入れる心を目覚めさせてくれるのです。

 

 

 私は、私たちがイエス様のお命じになった事に真に従う事ができるようになるには、まだまだ道のりは長いと思います。けれども、私たちは、キリストのうちに祝福されている事を信じ続けています。キリストのみことばの力は、この世の弱さから自由へと私たちを導いてくださいます。イエス様の恵みを受けた教えを通して、私たちは、今日まで大切だと思っていた事よりも、もっと大切な事があるという事に気付くでしょう。神さまのみことばは、さらに、私たちが「派遣される」事を真に願うようにしてくださり、真の自由をキリストがお与えくださる事の本当の価値を広めてくださいます。隣人たちも常に良い事を自由に行い、常に悪い事を自由に退ける時、私たちは、もっと喜びに満たされるのです。