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2024年6月30日・年間第13主日(B)

知恵 1.13-15, 2.23-24/ 詩編 30. 2b+4, 6, 11+12/ 2 コリント 8.7,9,13-15/マルコ 5.21-43

私たちの共同体がミサの中で唱える最も公式な祈り、多分、私たちの個人的な祈りでさえも、私たちが知っているミサの初めの祈りや奉献の祈り、聖体拝領の祈りと同じように、神さまへの信仰に基づいています。私たちは皆、これらの神さまへの信仰を、神さまへの賛美として理解しています。神さまに対する私たちの理解は、私たちの共同体の意向/嘆願をはっきりと声に出す事で、神さまへの賛美の言葉となります。例えば、今日のミサでの祈りのように、「最もいつくしみ深い父」、「全能の父なる神」、「天の父」、「救いの源である神」などのように、神さまへの賛美の言葉となるのです。

 

今日の聖書朗読には、私たち自身の振り返りの始まりになると信じている、もう一つの神さまへの賛美が記されています。

 

今日の第1朗読の知恵の書では、神様から与えられた命について強調されています。そして、神さまは「この命」を永遠の命として考えておられます。けれども、悪魔のねたみによって、死がこの世に入りました。私たちは今、キリストのうちに、また、キリストを通して、神さまの長きに渡るご計画と救いの約束の意味を理解することができるのです。旧約聖書には、アダムとイヴの堕落/罪についての話、そして、モーセによって創られた信仰共同体の興亡についてのたくさんの話が記されています。この信仰共同体は、神さまがたくさんの預言者たちを通して語られたメッセージを聞いていながらも、同時にかたくなで、度々、神さまからの戒めに背きました。神さまは、これらの戒めに従う人々や信仰共同体を守り続けられる一方で、旧約聖書の中で、エルサレムを不完全な共同体とみなされています。

 

イエスキリストを通してお与えくださった救いの約束の実現によって、今の時代、そして、現代の人々が、いのちを生み出される神さまのご意向を理解できるようになります。神さまは、いのちを生み出され、永遠のいのちをお考えになっておられるのです。この地上でのイエス様のみことばと御業は、すべてイエス様が癒してくださる いのちに関わるものです。イエス様は、私たちの弱さを強いものとされ、すべての人々が悔い改めるように、そして、愛といつくしみのうちに生きるようにと導いておられます。これらの事は、すべてのいのちを、イエス様と共にある新しいいのちとして、死からうまれる新しいいのちとして昇華させてくれます。私たちは、命の与え主である神さまにより頼み、罪を犯し続ける私たち皆は、罪から解放されるための勇気を得て、共同体、それぞれの家庭や職場において、私たちは惜しみなくいのちを与える者となるのです。私たちは、いのちの源であり、いのちの与え主である神さまに祈ります。これが、病気や死を超える力を惜しみなくお示しくださる神さまへの信仰なのです。

 

2朗読のパウロのコリントの教会への手紙では、私たちが深く考えるための言葉、「多く集めた者も、余ることはなく、わずかしか集めなかった者も、不足することはなかった。」と記されています。もし、私たちが今の生活で、他の人よりも秀でなくてはならないのであれば、「この世」で良しとされている生活のそれぞれ視点で、それ以上により寛大さに秀でたものとなりましょう。一人ひとりの持つ寛大さから、平等、分かち合い、奉仕が生まれます。ですから、私たちは、寛大さがいのちを生み出し、育てると信じています。むしろ、私たちの共同体や社会の中での死以上に/更に、いのちを強いものとしていきましょう。