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2024年4月28日・復活節第5主日(B)

使徒言行録9.26-31・詩編22.26+27a、28a+27b+28b+29、31b+32・1ヨハネ3.18-24・ヨハネ15.1-8

先週の(復活節第四主日の)分かち合いのポイントは、イエス様がご自身の事を私たちに説明して下さった通り、まさにイエス様は良い羊飼いであられるという事をもっと深く理解する事に焦点を当てています。実際に、イエス様の事をまだ十分に認めていない人々が、まだまだ大勢います。ですから、私たちは、多くのあらゆる手段を用いて、これらの人々にもっとイエス様の事を認めてもらえるようにと召されています。私たちは皆、自分自身が羊飼いになるようにと召されながら、私たちのうちから司牧という特別な召命、すなわち、司祭職と修道生活への召命が増えていくようにと、より一段と祈ります。 

  私たちが受けるあらゆる召命からもたらされる実り・作り出されるものの豊かさは、現在の私たちのイエス様との関係(繋がり)にかかっています。今日の私たちは、私たちの主イエス様との繋がりや、ぶどうの木とその枝との繋がりに似ている幾つかのものを理解するようになってきました。ぶどうの木の枝の自然な成長と広がり、そして、実りの豊かさは、そのぶどうの木との繋がり方次第です。今日の福音朗読で、イエス様はご自身をぶどうの木に、そして、私たちをその枝に例えておられます。加えて、「天の父」の御わざを象徴するぶどう園の農夫がいます。イエス様が弟子たちにお話になった事、多分、強調されてお話になった、イエス様ご自身が天の父のもとから遣わされたという事を、私たちは思い出すでしょう。そして、最終的には、イエス様と天の父はひとつであり、「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられる。」(ヨハネ10.30~、14.11~)という事を、イエス様は、弟子たちに十分に理解させる必要がありました。 

  イエス様の主なご意向は、弟子たちもイエス様とひとつになる事、そして、神さまの御わざを行う上で、真にひとつになる事です。今日の第一朗読から、私たちは、サウロがバルナバの助けによって、ついには他の弟子たちに迎え入れられた事を学びます。エルサレムの弟子たちはひとつになり、共にイエス様についての全ての事を話し、公に宣言しました。その時点で教会共同体は聖霊の働きによって、さらに成長し続け、勇気付けられ、強められます。言葉と行動の両方を通して他者を迎え入れる事によって、私たちは、たくさんの実りを喜んでもたらすぶどうの木の枝(つまり、天の父によって剪定される事を許された後に)であるという事をただ証明するのです。第二朗読では、日々を汚れのない良心のうちに生きるという事を、私たちに勧めています。真理のうちに愛し、言葉や口先以上に、それ故に何よりも行いをもって生きる事を選びましょう。