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11月19日・年間第33主日(A)

箴言31:10-13、19-20、30-31 詩編128:2+3ab、3cd+5+6a 1テサロニケ5:1-6 マタイ25:14-30または25:14-15、19-21

神の国のための働きを行うために、

私たちがすでに持っているものでお応えしましょう。


  私たちが先週に分かち合ったことから始めて、神の国についての黙想を続けましょう。神の国の完全な一員となるためには、私たち皆がイエス様が教えて下さったことをよく理解することを求められます。真に賢くなるということは、偽善や中途半端なことに相反する、意義のあるキリスト者としての生き方をすることであると、私たちは知るようになるでしょう。天国の一員であると言い切っているのに、自分に対して真に正直になれない人は、賢い人ではなく愚か者です。真に賢くない人(自分のためだけに賢く見える人)は、キリスト者であるということに対して、間違った理解をしているのかもしれません。



  それぞれの信仰共同体に属している人は、私利私欲と自己中心ではなく、いつも共同体のために良いことを考えています。今日の朗読は、神の国の働き神の国での働きをするために、協力し、その働きに真に携わる(心から関わる)ことを、私たちに求めています。確かに、成すべき働きは、まだまだたくさんあります。私たちは、自己中心さに身を任せることはしません(そうすべきではありません)。



  自分たちの静かな時間に、私たちは、私たちがいただいている賜物を知り、見つけ出し、認め始めます。私たちの賜物と能力、そして、実際に持っている時間は、闇の中に貯えるためのものではありません。私たち皆は、闇ではなく光の子であり、悪ではなく善の子なので、失敗を恐れず、神の国のために私たちの持っている良いものすべてを使います。今日の朗読で、私たちが持っている良いものや神さまからいただいた賜物を、私たち一人ひとりが賢く管理するようにと召されています。私たちは、これを管理責任、個人責任、執行責任と呼んでいます。私たちが管理者や責任者にはなれないとか、絶対にそういうことをやりたくないと言う度に、これらの賜物ができることを失っています。同時に、私たちが実際に持っている賜物と時間の実りの成長と広がりを途中で止めてしまうことになります。私たちは、私たち一人ひとりのための、そして、私たち一人ひとりを通して神さまの然るべき実り多きご計画を、実際には拒否してしまっているということに、私たちはどうにか気づくかもしれません。



  私たちが、神さまから与えられた才能と、同様に実際に私たちが持っている時間に着目するならば、これらすべての究極的な目的を、私たちは追求していくことができるのです。私たちキリスト者は、教会の将来的な展望や使命の実現、そして、イエス様が築かれた基盤を拡大させることを妨げたりはしません。



 

  私たちは、神さまから与えられた才能を発揮することで、天国での働きに完全に携わることができるようにと努力しつつ、一方で、崇高な目的のために、心を込めて自分たちの持っている時間を差し出します。同時に、私たちが知る知らないに関わらず、いろいろな理由で、時間を差し出すことが難しいように思ったり、才能を大いに発揮するのが難しいように思っている人々に対しても、認め、助けの手を差し伸べましょう。