エレミヤ 20.10-13 ・ 詩編69.14, 17+18, 34+35 ・ローマ 5.12-15 ・ マタイ 10.26-33
私たちは、祝祭日ではない日曜日を、教会暦の中で、私たちが自分たち自身とイエス様の弟子たちのことを、より長期的な視点で見つめなおすようにと招かれている特定の時期として考えることができます。四旬節の期間とご復活の間、私たちは、イエス様の最後の日々と、イエス様のご受難、死とご復活を黙想します。待降節とクリスマスの間は、イエス様が来られたことと、私たちの内においでになるイエス様の存在について黙想します。これらの重要な季節には、私たちはイエス様のご生涯の偉大なる神秘を経験しますが、祝祭日ではない年間の日曜日の間には、イエス様の使命への参加を継続的に更新し、そして、教会の近くだけではなく、さらに私たちが住んでいる社会においても、もっとも厳密的な意味でのクリスチャン生活を生きるようにと招かれています。今日、私たちは皆、神さまのいつくしみと愛を証しするとき、だれも恐れないようにと招かれているのです。私たちは、迫害する人々に対して、私たちを軽視し、侮辱するすべての人々に対して、勝利するために十分なものを持っているのですから、恐れることないのです。
第一朗読に書かれている預言者エレミヤは、神さまのメッセージを伝えながら、迫害している人々の勢力の存在を見ています。迫害する人々の存在は、また、預言者エレミヤにある種の激しい苦痛と、おそらくある種の落胆を与えるかもしれません。しかしながら、私たちが今日読んでいるのは、主が彼と共におられるので、迫害者が勝利することはないという、彼(預言者エレミヤ)の理解だけです。確かに、預言者エレミヤは、彼の信頼を主に置いていました。貧しい人々の命を救ってくださった主に賛美しましょう。
今日の福音朗読では、イエス様が弟子たちに誰も恐れるなと勇気付けてくださっています。神さまの愛といつくしみのメッセージは、隠されるべきでないという提議で、私たちは、光の中で、より広い情勢の中で、勇気を持って話すようにと招かれています。私たちがそのようにしようとすると、おそらく、私たちは、神さまの愛といつくしみのメッセージとクリスチャンと教会生活について知られていない社会にいて、私たちの洗礼の意味が一般的でないように思われているので、迫害やある種の疎外を経験するでしょう。イエス様は、「恐れるな」と言われます。共同体や社会の中での声なき人々に、声となり、声をお与えください。真実と正義のために戦っているその間、イエス様への信仰と信頼を抑えることができない仲間たちと共にいてください。その他の人々も勇気付けてください。
イエス様のご生涯の偉大なる神秘は、すでに私たちの内にあるお恵みと、そして、毎日受け続けているお恵みが、私たちの敵を踏みにじるのに十分な力であることを理解し、感謝し続ける力を与えてくださいます。私たちが、神さまの祝福を祈り続けることで、勇気を持ち、他の事も続いていきます。
主任司祭: アルセ・エクソール・マグボー