祈り、断食、そして、施しは、敬虔なユダヤの人々の主な行いです。これらの行いは、特に四旬節の間、私たちクリスチャンにとっても然るべき行いです。今年の典礼カレンダーより、灰の水曜日は2月22日、また、受難の主日は4月2日、聖なる過ぎ越しの三日間は、その週の木曜日、金曜日、土曜日です。
四旬節の間、これらのすべての行いは、ひっそりと傲慢でないことが大切であると強調されています。これは、私たちを神さまと神さまのなさることに近づけるという本当の目的を見失わないことが大切だからです。多くの著者が私たちがもっと祈り、もっと分かち合っていることを誰にも知られるべきではないと簡単に説明してくれています。これは、イエス様の十字架とイエス様の勝利を受け継ぐために、私たちの傲慢さゆえに他の人の注意を引いてしまわないよう、気を付けなくてはいけないことを意味しているのかもしれません。
施しの行いと同様に断食の行いは共により深い意味を持っていますが、私は、特にこれらの40日間の四旬節の間、これらを文字通りに行うよう私たち全員が招かれていると信じています。一方、私たちの多くは、ダイエットのために食べるのを減らすことに慣れていますが、四旬節の断食はそれ以上のものです。実際に、断食は自己愛ではなくて隣人愛について多くの事を教えてくれます。しかしながら、高齢のために、四旬節の間の健康と断食のより高い目的との間で、適切で健全な決断をすることが必要かもしれません。
私たちは、私たちが持っているものを必要としている人々に何かを分かち合うことを忘れてはなりません。多くの人々は、例えば、豪華な食事に費やすであろうお金を節約するということを単に提案するかもしれません。ある人は、豪華な食事をやめて、そのお金を、次の食事がどこから来るのかもわからない人に与えようと言い続けるかもしれません。繰り返しますが、これらの行いは、展示会やショーなしでひっそりと行うことが大切なのです。
私の親愛なる兄弟姉妹のみなさん、灰の水曜日の灰は、現在の私たちにとって、とても深い意味を持っているので、私たちは、私たちの典礼や四旬節の間のコミュニティでのその他の祈りの時間に積極的に参加する事で、多くのしるしや象徴に出会う事でしょう。私たちは、十字架の道行の祈りのグループに入っているかもしれませんし、四旬節以外でもロザリオの祈りを捧げたり、十字架の前でもっと祈ったり、聖週間が近づくにつれて、もっと座ったり、ひざまずいたりするかもしれません。しかし、神様のより偉大なる栄光のために、私たちの言葉と行動の真実と神聖な意図をすべての人に忘れさせないようにしましょう。
私たちがイエス様の十字架を積極的に担い、十字架の勝利を積極的に証しし、分かち合うことができますように。みなさんの上に、祝福と実り豊かな四旬節の平安がありますように。
主任司祭 アルセ・エクソール・マグボー